
ルクレティア
ルクレティアの自害は紀元前1世紀の「ローマ建国史」のなかに記されている。人妻だったルクレティアは、ローマ王国最後の王に貞操を奪われた。ルクレティアはそれを夫に告白して自害した。女性の美徳の模範、夫婦間の貞潔の戒めとして語り継がれていた。
クラーナハが「自害するルクレティア」を描き始めたのは1510/13年頃、初めは着衣だった。1513年にヨハン堅忍公の再婚に伴い、花嫁のベッドを装飾したときにも「ルクレティア」を描いている。ヴィッテンベルクの詩人が祝婚歌で「ルクレティアの衣は、小山のように盛り上がった胸元からずり落ちる」とうたっている。毛皮のマントを着た「ルクレティア」も描かれている。
1530年代からクラーナハの裸体画が増えている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
1530年代
クラーナハ
ルクレティア
1533年 板 テンペラ 37.3×23.9cm
ベルリン 国立絵画館
クラーナハが「自害するルクレティア」を描き始めたのは1510/13年頃、初めは着衣だった。1513年にヨハン堅忍公の再婚に伴い、花嫁のベッドを装飾したときにも「ルクレティア」を描いている。ヴィッテンベルクの詩人が祝婚歌で「ルクレティアの衣は、小山のように盛り上がった胸元からずり落ちる」とうたっている。毛皮のマントを着た「ルクレティア」も描かれている。
1530年代からクラーナハの裸体画が増えている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
1530年代
ルクレティア
1533年 板 テンペラ 37.3×23.9cm
ベルリン 国立絵画館
